藤子F全集、第四回配本。
「キテレツ大百科」は基本的に、FFランドの段階で
未収録とか全部出たので、特に改まっての感想は無いかなあ。
それでもサイズが大きいので、かなり印象は違うよね。
「パーマン」は、FFにも未収録だった話がチラホラと。
しかし「パーマン」は、改めて読むと結構完成度が高いというか、
実に良質なマンガだなあ、と思わせられる。
今はこういうマンガが少なくなってるからなあ。
「ドラえもん」は…実は今回これが一番スゴイかも。
特に最初の方の、ガチャ子のナンセンスっぷりがスゴイ。
恐竜を連れてくるエピがあったのは知っていたけれど、
そのまま散歩させるなよ!スネ夫も「かっこいい」で済ますなよ!
というか、恐竜の目つきがヤバイ。ヤバすぎる。
ガチャ子大量増殖は、もうナンセンスの極みだな。
そしてやっぱりこれはこれで面白いんだけど、「ドラえもん」じゃ無いよね。
ただ残念なのは、今回待望の収録となった、ガチャ子が登場する
「クルパー電波」のタイトルが「おかしなでんぱ」と
改題されてしまっていたこと。これはちょっと問題だなあ。
これ、問題点がいくつかあるので、簡単にまとめます。
まず最初に、帯や公式サイトでは「クルパー電波」の
タイトルのままになっているという事。
つまり外に書かれてる事と実際に収録されているものが違う、って事になる。
また本来ならその旨を「お断り」として、一枚挟んでおくべきなのだろうけど、
それもやっていない。
次の問題点として、F全集の意義に関わってくる部分。
そもそもF全集が発表になった時に何が嬉しかったかというと、
今まで読めなかった作品が読めるようになり、
かつセリフなども当時のまま、つまり改変などが行われない状態で読める、
という所が嬉しかったわけ。セリフ改変については、明確には
発表されていなかたっと思うけど、公式サイトの収録タイトルリストから、
それは明白だったわけ。何故セリフが改変されていない事が
重要なのかと言うと、それは「F全集が資料である」という事だから。
単純に「ドラえもん」を読みたければ、てんとう虫コミックスを
買えばいいわけだし、むしろ子供達にはそうしてもらいたい。
しかしこの本の厚さで、この値段を取るという事は、
これはもう完全に大人向けの本であり、資料である、という事なんだと思う。
そして資料であるという事はすなわち、
初出の状態を尊重してもらわないといけない、という事。
次にいわゆる「言葉狩り」の問題。
「クルパー電波」が何故改題されたかというと、それはもちろん
「クルクルパー」を想起させるから。いわゆる「キチガイ」だの「土人」だの、
そういうセリフがひたすら改竄させられてしまった時代というのも、
確かにありました。しかしそれは一昔前の話。
最近では、一言注意書きを添えて改竄などはしないケースが増えてきている。
最後に、作者が故人であるという事。
今回の全集では、F先生が自ら行った改定以外は、なるべくそのままにする、
という旨が記載されている。では「クルパー電波」→「おかしなでんぱ」が、
果たしてF先生の意志によるものだったのかというと…ちょっと考えづらい。
何故ならこの話は、雑誌掲載以来単行本などにも一切掲載されていなかったからだ。
意志というのなら「出さない」事が、F先生の意志だったんだろうと思う。
とにかく作者以外の第三者が、作品に対して修正を加えるという事は…
これはもう論外なわけですよ。
ざっとまとめると、こんな感じになるのかな。
大体ですね、どんなにセリフとか改変しても、
今のご時世ちょっとネットで調べれば、元のセリフとか
すぐに見つかってしまうんですよ。そういう時代に、いちいちセリフとか
チェック入れるなんて、ナンセンスだと思うんですよ。
それから「クルクルパー」って言葉、確かに最近ではあまり聞かないけれど、
ある一時期はそれこそ流行語では無いけれど、日常で
割と普通に使う単語だったんですよ。以前高桑慎一郎さんにインタビューした時に、
「秘密探偵クルクルの名前はクルクルパーから取った」と言われてましたが、
それくらいにメジャーな言葉だったわけです。
そういうセリフを排除してしまうという事は、その作品が作られた
時代背景や歴史を一切無視する、愚かな行為だと言ってもいいと思うんですよ。
全ての作品は、それが成立した時代背景や歴史を無視しては成立しないのです。
とまあ、あれこれ書きましたけれども、例えばこれから新しく作られる作品において、
「クルクルパー」だの「キチガイ」だのという単語を使うのは、
ちょっとどうかと思います。ただし全く否定はしません。
また「クルクルパー」だの「キチガイ」だのいう単語を見つけて、
見つけた見つけたと声高に叫ぶのは、結局の所そういう言葉を封印してしまう人と、
全く同じ思考パターンなのだ、という事も理解しています。
自分が願うのはたった一つ、藤子F不二雄先生の作品を、
完全な形で読みたい、という正にその一点に過ぎないのです。
「キテレツ大百科」は基本的に、FFランドの段階で
未収録とか全部出たので、特に改まっての感想は無いかなあ。
それでもサイズが大きいので、かなり印象は違うよね。
「パーマン」は、FFにも未収録だった話がチラホラと。
しかし「パーマン」は、改めて読むと結構完成度が高いというか、
実に良質なマンガだなあ、と思わせられる。
今はこういうマンガが少なくなってるからなあ。
「ドラえもん」は…実は今回これが一番スゴイかも。
特に最初の方の、ガチャ子のナンセンスっぷりがスゴイ。
恐竜を連れてくるエピがあったのは知っていたけれど、
そのまま散歩させるなよ!スネ夫も「かっこいい」で済ますなよ!
というか、恐竜の目つきがヤバイ。ヤバすぎる。
ガチャ子大量増殖は、もうナンセンスの極みだな。
そしてやっぱりこれはこれで面白いんだけど、「ドラえもん」じゃ無いよね。
ただ残念なのは、今回待望の収録となった、ガチャ子が登場する
「クルパー電波」のタイトルが「おかしなでんぱ」と
改題されてしまっていたこと。これはちょっと問題だなあ。
これ、問題点がいくつかあるので、簡単にまとめます。
まず最初に、帯や公式サイトでは「クルパー電波」の
タイトルのままになっているという事。
つまり外に書かれてる事と実際に収録されているものが違う、って事になる。
また本来ならその旨を「お断り」として、一枚挟んでおくべきなのだろうけど、
それもやっていない。
次の問題点として、F全集の意義に関わってくる部分。
そもそもF全集が発表になった時に何が嬉しかったかというと、
今まで読めなかった作品が読めるようになり、
かつセリフなども当時のまま、つまり改変などが行われない状態で読める、
という所が嬉しかったわけ。セリフ改変については、明確には
発表されていなかたっと思うけど、公式サイトの収録タイトルリストから、
それは明白だったわけ。何故セリフが改変されていない事が
重要なのかと言うと、それは「F全集が資料である」という事だから。
単純に「ドラえもん」を読みたければ、てんとう虫コミックスを
買えばいいわけだし、むしろ子供達にはそうしてもらいたい。
しかしこの本の厚さで、この値段を取るという事は、
これはもう完全に大人向けの本であり、資料である、という事なんだと思う。
そして資料であるという事はすなわち、
初出の状態を尊重してもらわないといけない、という事。
次にいわゆる「言葉狩り」の問題。
「クルパー電波」が何故改題されたかというと、それはもちろん
「クルクルパー」を想起させるから。いわゆる「キチガイ」だの「土人」だの、
そういうセリフがひたすら改竄させられてしまった時代というのも、
確かにありました。しかしそれは一昔前の話。
最近では、一言注意書きを添えて改竄などはしないケースが増えてきている。
最後に、作者が故人であるという事。
今回の全集では、F先生が自ら行った改定以外は、なるべくそのままにする、
という旨が記載されている。では「クルパー電波」→「おかしなでんぱ」が、
果たしてF先生の意志によるものだったのかというと…ちょっと考えづらい。
何故ならこの話は、雑誌掲載以来単行本などにも一切掲載されていなかったからだ。
意志というのなら「出さない」事が、F先生の意志だったんだろうと思う。
とにかく作者以外の第三者が、作品に対して修正を加えるという事は…
これはもう論外なわけですよ。
ざっとまとめると、こんな感じになるのかな。
大体ですね、どんなにセリフとか改変しても、
今のご時世ちょっとネットで調べれば、元のセリフとか
すぐに見つかってしまうんですよ。そういう時代に、いちいちセリフとか
チェック入れるなんて、ナンセンスだと思うんですよ。
それから「クルクルパー」って言葉、確かに最近ではあまり聞かないけれど、
ある一時期はそれこそ流行語では無いけれど、日常で
割と普通に使う単語だったんですよ。以前高桑慎一郎さんにインタビューした時に、
「秘密探偵クルクルの名前はクルクルパーから取った」と言われてましたが、
それくらいにメジャーな言葉だったわけです。
そういうセリフを排除してしまうという事は、その作品が作られた
時代背景や歴史を一切無視する、愚かな行為だと言ってもいいと思うんですよ。
全ての作品は、それが成立した時代背景や歴史を無視しては成立しないのです。
とまあ、あれこれ書きましたけれども、例えばこれから新しく作られる作品において、
「クルクルパー」だの「キチガイ」だのという単語を使うのは、
ちょっとどうかと思います。ただし全く否定はしません。
また「クルクルパー」だの「キチガイ」だのいう単語を見つけて、
見つけた見つけたと声高に叫ぶのは、結局の所そういう言葉を封印してしまう人と、
全く同じ思考パターンなのだ、という事も理解しています。
自分が願うのはたった一つ、藤子F不二雄先生の作品を、
完全な形で読みたい、という正にその一点に過ぎないのです。
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コメント
1. 無題
スクービー・ドゥー?
誰、それ。
2. 無題
歌はいいのにねえ。
3. シンエイ版で上書き
それにしても、シンエイ版EDでは
♪「バーがバーっと消えてドマンさ」
とは、なってないあたり、全体意思の統一が…(^^;
4. 無題
しかし改めて読んでみると、特にパーマンとか
「クルクルパー」を前提としたギャグが多くて、
セリフが改変されると、テンポとかも全然変わってきちゃうんだよなあ。
5. テンポがおかしいと感じる例
↑わりとテンポ守ってる改変
「弱虫けむしよ」
おいおい
「ムシキング」
むしろ心に残ってる
「作者はあたまがおかしいんだ!」
その改変は、テンポがおかしいんだ!
「キザ夫がんばる! でもなるべく早くきてね」
論外! って言うかA作品だ。ま、自民党はがんばらなくていいけど。
あ、コメントは放置してもいいですよ(苦笑)
6. 無題
「すごぉく怒るぜ」
キチガイ三段論法だけは残してほしいなあ。
逆パターンとして
「おかしくはこれからなるんです」
の意味がまるで通らなくなるのもなあ。
でも一番勘弁してほしいのは、名前の変更かなあ。
A作品だけど
スピキチ→スピーマ
ノウルス→ノンビラス
とか。でもスピーマはFFランド改変だったので、違和感あるけど、
ノンビラスは子供の頃からその名前だったので、
あまり違和感無いかなあ。