「スーパーマン」はバイセクシュアル 最新号で友人記者と恋仲に
昨日あたりからこの記事についてあれこれ騒ぎになってるけど、
しばらく静観してました。
大体これ見出しが悪くて、「スーパーマン」とは言うけど、
実際には「スーパーマンの子供」なんだよね。
比較的最近登場したキャラらしく、
それが大人になるにあたって、こういう設定が付加された、という事です。
なので単純に「スーパーマンが~」みたいになのは、もう無視。
その上で、バイセクシュアルという設定が付加されるのは、
時代の流れとしては当然になってきてるんですかね、という感想。
まあ「バイセクシュアルなんてやめろ」と言う気はないし、
そういう設定もアリなのかな、とは思います。
色々な愛の形があっていいわけだし、
それらを描くことで、何か表現したいというのであれば、
それはどんどんやってもらって構わない。
ただ逆に「バイセクシュアルを描いているから素晴らしい!」と
なっちゃうと、それはそれで何か違うんじゃないかな、とも思うわけです。
それは「バイセクシュアルなんてケシカラン」というのと、全く同じ思考だと思う。
結局必要であれば描けばいいし、
それを通して何を描きたいのか、ってのが大事だと思うんですよね。
昨日あたりからこの記事についてあれこれ騒ぎになってるけど、
しばらく静観してました。
大体これ見出しが悪くて、「スーパーマン」とは言うけど、
実際には「スーパーマンの子供」なんだよね。
比較的最近登場したキャラらしく、
それが大人になるにあたって、こういう設定が付加された、という事です。
なので単純に「スーパーマンが~」みたいになのは、もう無視。
その上で、バイセクシュアルという設定が付加されるのは、
時代の流れとしては当然になってきてるんですかね、という感想。
まあ「バイセクシュアルなんてやめろ」と言う気はないし、
そういう設定もアリなのかな、とは思います。
色々な愛の形があっていいわけだし、
それらを描くことで、何か表現したいというのであれば、
それはどんどんやってもらって構わない。
ただ逆に「バイセクシュアルを描いているから素晴らしい!」と
なっちゃうと、それはそれで何か違うんじゃないかな、とも思うわけです。
それは「バイセクシュアルなんてケシカラン」というのと、全く同じ思考だと思う。
結局必要であれば描けばいいし、
それを通して何を描きたいのか、ってのが大事だと思うんですよね。
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