クリストファー・リーブ版の映画スーパーマンを見ていました。
なのでその感想とか。
これはまあ一作目なので、スーパーマンの誕生話がメイン。
惑星クリプトン~スモールヴィル~孤独の要塞までの部分と、
その後のメトロポリス部分の雰囲気がかなり違うのが、ちょっと独特。
映像に関しては、本作に限らずさすがハリウッド、
という感じの大迫力。実物大のセットとか作ってるしね。
ところで悪役はレックス・ルーサーなんだけど、
アニメ版と違って、なんか変な「悪党一味」のボスみたいになってて、
なんだかドロンボー一味みたいな感じなんですよね。
正直「それでいいの?」って思いましたわ。
本作で良く言われるのがラストシーン。
ネタバレになっちゃうんだけど、最後ロイス・レーンが死んじゃうんですが、
それを悲しんだスーパーマンが、地球を逆回転させることで
時間を巻き戻して、ロイスの死を無かったことにしちゃうんですよね。
いや正直どうなの?と思わなくも無いんですが、
ただ一応、本当の父親であるカル・エルの
「地球の歴史に干渉するな」という言葉に対して、
育ての父親の言葉に従う、という所に意味がある演出なのかな、
という事でまあ理解できなくは無いシチュエーションです。
続いて二作目。前作で伏線のあったゾッド将軍達が登場。
派手なアクションを繰り広げるんだけど、
今のCGをバリバリ使ったアクションと違って、
正直そこまでスピード感ある物では無いのが、
ちょっと残念だけど仕方ない部分。
これまたネタバレになるんだけど、前作ラストで「無かったことにした」を
やっておきながら、本作でもまた「無かったことにした」を
やってるんですよね。しかも二回。
一つ目はスーパーマンがスーパーパワーを無くす展開。
ロイスと一緒に普通の人間として生きよう、と決意するシーンで、
その時に「もう二度とスーパーパワーを使えなくなる」って
説明してるのに、結局何故かまたスーパーパワーが使えるようになるんですよね。
二ツ目はラストシーン。今回スーパーパワーはロイスに
自分がクラーク・ケントである事を明かすんですけど、
その記憶をロイスから消去しちゃうんですよ。
う~ん、さすがにこれはちょっとどうなんだろうなと。
それからレックス・ルーサーがまた出るんですが、
今回はなんかねずみ男みたいな立ち回りで、
アニメ版を先に見てると、かなり違和感あります。
これはねえ、ちょっとひどいかも。
まず全体的にかなりコメディ寄りになってるんですよね。
そして劇中の時間経過も、なんかおかしな事になってるんですよ。
アメリカは広いから時差があるのは分かるんだけど、
ほぼ同時に起きているはずの事が、片方では夜、
片方では昼間みたいに描かれちゃってる。
あとパソコン教室に数日ほど通っただけの男が、
人工衛星にあっさりハッキングできるようになってて、
なんだそりゃ?みたいな感じ。
ただそれでいて伏線の使い方は上手かったり、
クラーク・ケント対スーパーマンは結構良かったりと、
なんかアンバランスな映画だな、と思いました。
「変な映画」として見る分にはいいかも。
これが一応最後。一作目から9年経ってるんだけど、
それでいてオリジナル・キャストを揃えられたのは、
結構すごい事なのかなと。当時はまだMCUみたいな
通年契約みたいなのは無かっただろうし。
内容としては、まさに総決算という感じで、
いままでのシリーズのセルフオマージュみたいなシーンが
結構ありました。内容としても、可もなく不可もなく、
という割と無難な出来という感じ。
ただ時間が従来より30分近く短くなってるので、
そこが物足りないかもしれないし、逆に間延びしてなくていいのかもしれない。
まあそんな感じでしょうか。
そういえば「スーパーマン リターンズ」は実は
このシリーズの続編的位置づけらしいので、
機会があったら、見直そうかな。
ところでこの一連のシリーズは「コミックの忠実な実写化」
をやりたかったのじゃ無いかな、と思うんですよね。
そしてその「コミックの忠実な実写化」って、
実はこの2年後に来る「バットマン」にも継承されてると思ってて、
マイケル・キートン版の最初のバットマンって、
結構コメディ描写が入ってるんですよね。
いわゆる「ダーク」なバットマンって、実は
「バットマン・リターンズ」から始まってると思うんですよね。
とにかくバットマン以降、アメコミ・ヒーロー映画も
かなり変わってきているわけで、
そういう意味では、「古き良きヒーロー映画」だったのかな、と思います。
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