今更やってます。
ポケモンは3DSで「Y」とか「アルファサファイア」とか
やってはいたんですよね。
ところでポケモンやる度に、いつも思うことがあるんですよ。
ストーリーの中で「君とポケモンの絆は深まっている」とか
言われることがあるんですけど、
いやでも今戦ったのさっきそこで捕まえたヤツですよ?
みたいなシチュエーションってありませんか?
なんというかストーリー的にプレイヤーは
「特別」なポケモントレーナーみたいに言われるんですけど、
でもそこら中でポケモンを捕まえまくって、
そのほとんどをボックスに送って、
場合によってはそのまま逃しちゃうような事をしているのに、
そういう風に持ち上げられるの、なんかしっくり来ないんですよね。
常に6匹のポケモンを連れている人と、
たった1匹のトランセルを大事にしている人では、
後者の方がポケモンと深い絆で結ばれているのでは?
とか思ってしまいます。
最初のころ捕まえて使っていたポケモンとか、
いつのまにか二軍三軍行きになったりしちゃうんですよね。
それも正直どうなのかなあ、って思います。
なんか微妙に罪悪感を覚えてしまうんですよね。
なんかこう「システム」と「ストーリー」が
そぐわなくなってるんですよね。
多分本当はポケモンって、ただポケモンを捕まえていればいいだけで、
別にマスターとかチャンピオンとか目指さなくてもいいよね、
という感じの世界観なんだと思います。
でも「ゲーム」として成立させるには、
そこに「絆」みたいな特別な何かを演出してやらないと
ならないのかなあ、と。
そこでなんか齟齬が生じてるのかな、と思うんですよ。
実はこの辺は後続作品の方が上手くやってて、
「ドラクエモンスターズ」の場合、捕まえたモンスターを
使わなくなっても「配合」することで、役に立てることが出来る。
そして配合したモンスターは「自分から去る」という
体裁になっているので、そこまで罪悪感は感じない。
新しく生まれたモンスターは、過去に使ってた技を覚えているから、
繋がりも感じることが出来るんですよね。
「メダロット」の場合、メダルは複数持てるけど、
そこまで数が多いわけじゃない。
また増えていくのもあくまでも「パーツ」だし、
あくまでもホビーの延長なので、やっぱり
罪悪感は感じづらくなっていると思います。
なんかポケモンだけ、こういう妙な罪悪感を
覚えることがあるんですよね。
でも逆にそういう部分があるからこそ、
多くの人の心に残ることが出来たのかな、とも思います。
PR
コメント