"日記"カテゴリーの記事一覧
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Twitterに書いたことのまとめ。
最近良く「迷ったら自分の感覚を信じろ」とか
「自分の直感で選べば大丈夫」みたいな事が言われるじゃないですか。
でも自分としては「自分の感覚」こそ、
真っ先に疑った方がいいと思うんですよね。
「自分の感覚を信じる」って、なにか二者択一なことが
あるような場合に言われると思うんですよ。
それで例えばなにか選ぶような場合、
「A」という物と「B」という物の中からどちらかを
選ばないといけない場合、いきなり自分の感覚を
信じてどっちか選ぶ、って
一番やっちゃいけない事だと思います。
そういう時にはまず「A」と「B」をしっかりと比較する。
それぞれのメリットとデメリットをちゃんと見極める。
場合によっては他の人にアドバイスを求めてみる。
とにかく徹底的に比較していって、
それでもまだ迷うような時に
はじめて「自分の感覚を信じて」片方を選ぶ、
そういう事だと思うんですよね。
何も考えないでただ「自分の感覚を信じる」というのは、
多分最悪な方法だと思います。
良く言われるんですが「運を天に任せる」っていうのは、
自分自身の力で出来ることは全部やって、
もうこれ以上努力できることは無い、という所まで来て、
そこで初めて「運を天に任せる」となるんですよね。
それに「自分の感覚を信じた」結果として、
もし間違ってしまったような場合、当然それは
受け入れないとならないですし、自分の責任になるんですよね。
「自分の感覚を信じる」って本当はとても重い言葉だと思います。 -
カートゥーンネットワークで深夜に放送していた
「フォスターズ・ホーム」「KNDハチャメチャ大作戦」
「おくびょうなカーレッジくん」「ビリー&マンディ」
などなどが放送終了。
とりあえず「ビリー&マンディ」以外は
一周できたからいいけど、またこういう懐かしいトゥーンを
やってほしいですね。
それと入れ替わりに日本のアニメが放送されるんですけど、
Twitterとかで若いCNファンを見ていると
「CNは日本アニメやりすぎだ!」って感想が
多く見受けられます。
でも正直CNが日本アニメばかりなのは、
もう20年以上も前からずっとそうだからな~。
この辺は昔の日記とか漁ってくれれば、
どこかで書いてるはずなんだけど。
年越しで日本アニメ放送とか、普通にやってたしね。
そういう意味では、あまり変わってないのかなあと。 -
Kindleで「ミスター味っ子」を読んでたんですけど、
もともと昭和の終わりに連載されていただけあって、
やっぱり料理の知識とか描写が、かなり古いですね。
例えば「パスタ」とは言わずに「スパゲッティ」って言ってたり、
またイタリアで修行したシェフとの勝負がスパゲッティミートソースだったり。
今だとちょっと考えられない感じ。
他にも餃子勝負で出てきたのが、スープをゼラチンで固めて、
それを餃子の中で溶かすって料理なんだけど、
それどう考えても小籠包ですよね?
まだあの頃って、小籠包はそんなのメジャーじゃなかったからなあ。
面白いんだけれども、そういう時代のギャップを感じてしまいました。 -
昨日はエイプリルフールでした。
ところで「エイプリルフールに嘘をついていいのは午前中だけ」
みたいな話を聞くことがあるんですけど、これって本当なんですかね?
というのも、子供の頃にこの話を聞いた覚えが無いんですよ。
多分この10年くらいで急速に広まった話なんじゃないかなあ。
それで調べてみたら、確かにそういうルールがある「地域」は
あるけれど、あくまでも「ローカルルール」みたいな感じだそうで。
まああまり気にしなくていいのかな、という感じみたいですね。
そういえばカートゥーンでエイプリルフールネタって、
あまり見ないような気がするんですけど、どうですかね?
普段からふざけてばかりいるから、今更という事なんでしょうか。
こういうのって地域によって差があるし、
時代によっても差があるから、結構注意しないと
いけないんですよね。
例えば近年のカートゥーンでは、ハロウィンネタは
もはや鉄板なんですけど、でも例えば昔の
映画だったころのトムとジェリーあたりでは、
実はあまり見た覚えが無かったりします。
クリスマスネタはあるのにね。
多分どこかのタイミングで、一気に広まったんでしょう。
ハロウィンといえば、自分がサイト作った当初は
ハロウィンに対してもいちいち説明をつけてたのを覚えています。
まだページに痕跡が残ってるはずですね。
それからほんの数年で日本にも一気にハロウィンが
広まったと考えると、なかなか感慨深いものがあります。 -
この2~3年くらいで「水曜どうでしょう」を見始めたりしてます。
特に今テレ朝チャンネルで、順番に放送してくれてるのがありがたくて、
やっぱり流れを把握する、っていうのは大事だよなーと思ったり。
一年目はほとんどサイコロだよなーとか、
二年目は放送してくれないのが多いなーとか。
まあ色々と思うわけです。 -
何か作品を見た時に「面白い」とか「つまらない」とか
感想を抱くのは、これは当然の話なんだと思うんですよ。
ただ「面白い」「つまらない」って注意しないと、
「お前あんなつまらない物見てるの?」とかなってしまうので、
ちょっと注意しないといけないんですよね。
それよりは「好き」「嫌い」の方が、まだ個人的な感情だから、
そこまで争いには発展しづらいとは思うんだけど、
でもやっぱりトラブルになりやすい。
だから自分は最近「合う」「合わない」と
言うようにしてるんですよね。
「合わない」ものは合わない。じゃあしょうがない。
そこで終わりになるからいいんですよ。
例えば…
自分は海外アニメは「合う」し、日本アニメは割と「合わない」。
でも同じ海外アニメでも、デクスターズラボとかサムライジャックとかの
CN系は「合う」んだけど、ワーナー系はちょっと「合わない」。
もう合わないんだから、しょうがないです。
自分に合わない物は、どれだけ人気があっても、どれだけ勧められても、
合わないんだから仕方ないんですよね。
マンガだと自分は「うしおととら」「パトレイバー」あたりは合わない。
最近だと「進撃の巨人」は合わないですね。
ただこの辺りは一応それなりに読んだことはありますし、
もちろん人気があるのも認めています。
読んでいないものは、そもそも合う合わないの評価が出来ません。
アニメだとこの間も書いたけど、エヴァは合わないですねー。
あとジブリ系も合わない。合わないんだから、しょうがない。
特撮だと平成ライダーもほとんど合わないです。
ゲームだと、セガのゲームは本当に合わないんですよ。
いまいち面白さを見いだせない。
3DSでいくつか買ってプレイしてるけど、
でもやっぱりなんか微妙に合わない。
ただ「合わない」と思っていても、しばらく時間が経ったり、
改めて触れてみると「実は合っていた」というのが時々あるんですよね。
実は自分にとって任天堂のゲームがそれなんですよね。
スーパーファミコンの頃、実は任天堂のゲームを
あまりやってなかったんですよね。
どちらかというとスクウェアのRPGを中心にやっていました。
当時はアーケードゲームを中心にやっていたせいもあるんだろうけど、
任天堂のゲームはなんか「合わなかった」。
その後もゲームボーイとかゲームボーイアドバンスを
買ってはいたんだけど、任天堂のゲームはあまりやってませんでした。
でもニンテンドーDSの時にふと「リズム天国」をやって、
なんか「すごい面白い」と思ったんですよ。
ただリズムに合わせてボタンを押すだけなのに、
それだけなのに面白い。これはどういう事だろうと思いました。
それから任天堂のゲームを買うようになったんですが、
急速に合うようになっていきましたね。
改めてスーパーファミコンの任天堂ゲームとかやると、
すごい面白く感じる。
これは自分の中の何かが変わった、という事なんでしょう。
「合う」「合わない」を判断するには、
やっぱり実際に見たり触れたりしないといけないわけです。
せめてそういう「触れる機会」は、可能なかぎりは
作っていきたいな、と思います。 -
Twitterでもちょっと触れたので。
インターネットをやっていると、いろんな人が
いろんな作品について感想を書いています。
でもそれが行き過ぎると、何か作品を見てすぐに
感想を書いて、それをインターネットにアップしないといけない、
という風になりがちなんですよね。
でもそれを続けてると、感想とか出てこなくなるんですよね。
またインターネットで注目されるために
作品の「考察」とかをアップする人もいるけど、
あまり考察ばかりやっていると、その作品を
純粋に楽しむことが出来なくなるんです。
自分がかつてそういう感じになっていたから、良くわかります。
「考察」は無理にしなくていいし、やらなくていい。
「感想」を書くのだって、焦らなくていいし、誰かと同じでなくていい。
「見た」「笑った」「くだらなかった」でも十分感想になりますし、
「何も言えないし何も書けない」って感想があってもいいんですよね。 -
なんだか色々忙しいです。
いやいい事なんですけどね。 -
今日もただ、いつも通りに生きていく。
ただそれだけのことです。
いつも通りに生きて、いつも通りに全てを受け入れるだけです。