"日記"カテゴリーの記事一覧
-
マンガとかアニメとかのフィクションですが、10年位前の
キーワードって多分「共感」だったと思うんですよ。
でも今ってそれが更に発展して「感情」そのものにフォーカスするように
なってきてるように思う時があります。
特にTwitterとかインターネット界隈見てると、
その傾向がかなり強くなってると思います。例えば「シン・ウルトラマン」で言うと、
昔だったら「五次元」とか「プランクブレーン」とかの
SF部分を考証するような話が話題になってたと思うんですけど、
今そういうのほとんど見ないんですよね。
代わりに話題として良く見るのが、メフィラスの「私の好きな言葉です」とか
「ウルトラマン地球人好きすぎだろう」みたいな話。
やっぱり「好き」とかそういう感情にかなり
フォーカスが集まるようになってきてます。それ自体に別にどうこう言うつもりはないんだけど、
その反動として、例えば何か作品に対してちょっとでも
自分の「嫌い」な要素が入ってると、もう全部否定しちゃう、
あるいは全く見ない、みたいな傾向がチラホラ見受けられるんですよね。
もちろん以前書いたみたいに、作品には「合う合わない」があるので、
仕方ない部分もあるんだけど、それがあまりに極端になると、
ちょっとどうなのかな、とも思います。フィクションってあくまでも「仮想」の話だから、
言い方は悪いけど、自分が体験したくない事、あるいは
自分にとって嫌な事ですらも、「仮想」で体験できると思うんですよ。
それって実は最大のメリットで、「仮想」で嫌なことを体験できれば、
実際に似たようなことが起きた時に、多少でも対応することが出来る、
あるいは他の誰かが似たような立場になっているのでは?と
考えることができるようになる、と思うんですよね。でも「仮想」ですらも嫌なことを排除して、好きなことばかりを
選んでいくと、そういう感情がどんどん誇大化していってしまう。
その結果として、自分の嫌いなことは全くやらない。
あるいは自分にとって少しでも不快な物に対して、
憎むようになり排除するようになってしまう。
なんかそういう側面があるのかな、と思ったりします。もちろんどうしてもダメな物でも受け入れろ、とは思わないんだけれども、
あまりにそういう感情を拗らせてしまうのも、
それはそれで良くないよ、という事なんですよね。
結局は「バランス」の問題というか、自分の嫌いな物と直面した時に、
それとどう折り合いをつけていくのか、という話になるんだと思います。PR -
先日Twitterで、「なんで日本ではプレスコが主流にならないのか?」って
話があったのを横目に見て、つらつらと考えたこと。その前に「プレスコ」というのはいわゆる「アフレコ」の逆で、
アニメとかで先にセリフを収録して、後からそれに合わせて
映像を使っていくという手法です。
ちなみに日本は大体アフレコなのですが、アメリカなどでは
プレスコが主流みたいです。それでその時見た回答は、
「結局プレスコやっても後から演出などが修正になることがあるので、
アフレコの方が管理が楽」
という物でした。ただ個人的には、やっぱりもっと別の理由があると思うんですよね。
そもそもなんでアメリカとかでプレスコが主流なのかというと、
セリフと唇の形を合わせる「リップシンクロ」にすごいこだわっているんですよ。
だから「クラッチカーゴ」とか作っちゃう。
これは唇の形で何を話しているのか判断している、という文化が背景にあって、
だから海外ではマスクを拒否する人がやたら多い、という話にも
繋がってくるんだと思うんですよね。それでその話は一旦置いておいて。
今日知ったんですけど、「紙芝居」って実はどうも日本独特の物らしくて、
GHQすらも知らなかった、みたいな話があるんですよね。
まあ全く無いわけでは無いんでしょうけど、
かなりマイナーな存在だったのは間違いないです。それで兼ねてから自分は海外のカートゥーンは、
「人形劇」の文化から発展しているんじゃないかな、
と漠然と考えていたんですけど、逆に日本のアニメって
「紙芝居」が源流にあるのかな、と思うんですよね。紙芝居の場合はまず絵が先にあって、そこに声を乗せていく。
人形劇はまずシナリオがあって、それに合わせて演技をしていく。
これなんとなく、アフレコとプレスコの関係に近いのかなと。
海外のアニメがプレスコなの、単純に「セリフを取る」んじゃなくて、
その時の表情とか動きも制作の参考にしている部分が
大きいのでは無いかな、と思います。まあ本当に漠然と考えているだけの話なので、
多分詳しい人が見ればメチャクチャな理屈なんでしょうけど、
でもそのうちキッチリ調べてみたいかな、とは思っています。 -
シン・ウルトラマンを見てきたよ、って話題は前回書いたのですが、
その中で「プランクブレーン」という単語が出てきました。
それが気になって調べたんですが、
最新の物理学のブレーン宇宙論では、我々のいるこの三次元は
五次元世界に膜(ブレーン)のようになって浮かんでいる、ということだそうです。
なので「プランクブレーン」は単純に言うと「別次元」、
という事になるようですね。【図解】プランクブレーンとは?シンウルトラマンを分かりやすく解説! | ドラマスクリーン
ところでこのブレーン宇宙論について調べてみると、
基本的に異なる次元間は移動できないということなのですが、
「重力」のエネルギーだけは、異なる次元間を移動できる、
という事だそうです。ん?これってもしかして「スティール・ボール・ラン」の
クライマックスで出てきた理屈?
そういえば大統領の能力も「何かに挟まれる」=「膜のように薄くなる」
と解釈できるから、もしかしてこのブレーン宇宙論が
大統領の能力の元ネタになっている可能性は高そうですな。そういえばスティール・ボール・ランの大統領のセリフで
「誰かが最初に右のナプキンを取ったら全員が「右」を取らざるを得ない」
というのがありましたが、実はそれも物理学者が言ったことが元ネタのようです。ノーベル物理学賞を受賞した南部氏と同じ説明を、『スティール・ボール・ラン』16巻で大統領が行っていた!? | @JOJO ~ジョジョの奇妙なニュース~
荒木先生、結構物理学の本とか読んでるのかなー。
-
最近アメコミ映画の影響もあってか「マルチバース」って単語を
良く聞くと思うんですよね。でもそもそもマルチバースって何?
って話だとは思います。マルチバースって「多元宇宙」みたいに訳されることが多くて、
簡単に言うと「今の宇宙とは別の宇宙」って意味合いでしょうか。
最近の「スパイダーマン ノーウェイホーム」とか
「ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス」とか
見ればなんとなーく想像はつくのかな、と思います。でも一方「パラレルワールド」つまり「並行世界」って
概念もあるんですよね。「マルチバース」と「パラレルワールド」って
どう違うんですかね。以下は自分の勝手な考察なので、間違いとかあったら適当に突っ込んでください。
「パラレルワールド」は「並行世界」、つまり今いる世界とは
ほんのちょっとだけ違った世界のこと。
例えば分かれ道を右に行った世界と左に行った世界、という違い。
これは分岐点の数だけ無数に増えていくことになる。ドラえもんに出てくる「もしもボックス」は
要するにこの「並行世界」を呼び出す道具ですよね。
実際に「のび太の魔界大冒険」では、魔界から元に戻そうとした時に、
「パラレルワールドになるんだよ」といったセリフが出てきてます。
つまりあくまでも「元となる世界」があった上で、
そこから分岐してきた世界、となるんでしょうか。
タイムパラドックス物だと、パラレルワールドは割と良く出てくるイメージあります。一方のマルチバースは元となる世界とかは全然関係なく、
最初から全く違う世界。全く違うんだけれど、部分的には似てるというか。
だから他のマルチバースにも「スパイダーマンがいる」事になるわけで。
とにかくそうした世界が無数に存在している、という概念。そう考えるとイメージとしては、マルチバースの方がより大きくて、
その中にパラレルワールドが存在する、というイメージになるんでしょうか。さてそれを踏まえて、一つどうしても気になることが。
マルチバースでもパラレルワールドでもいいんだけど、
「ここは○○の世界だな」とか「僕は○○の世界から来た」みたいに
言ったりするセリフがあるじゃないですか。
でも「世界」って「世界地図」ともいうように、
イコール「地球」というイメージがあると思うんですよね。
そして本来ならばマルチバースとかパラレルワールドは「宇宙」よりも
上位の概念だと思うんですけど、それを「世界」と言ってしまうのは、
なんだかちょっと違和感あるんですよね。本来ならば「別の宇宙」とか言った方がまだいいんだろうけど、
それもなんかしっくり来ない。
でも「次元」になっちゃうとまた別の話になっちゃって、
これはもうマルチバースとかパラレルワールドをも内包する、
もっと巨大なイメージがあるんですよ。マルチバースとかパラレルワールドを示す単位としての言葉が
必要なんじゃないかな、とずっと考えてるんですけど、
イマイチ思い浮かばないんですよね。
例えば「時空」とか「位相」とか、まあ候補はいくつかあるけど、
もっと上手い言い方あるんじゃないかなー。 -
アマプラで配信されていたので「飛べ!孫悟空」を見ていました。
ザ・ドリフターズの面々にそっくりな人形を使った人形劇で、
西遊記をベースにした話です。
子供の時に見ていたのを思い出します。メンバーはそれぞれ
いかりや長介=三蔵法師
志村けん=孫悟空
仲本工事=沙悟浄
高木ブー=猪八戒
加藤茶=ハゲオヤジといった具合。
見てのとおり、志村けんが孫悟空なんですが、
でもこの番組がスタートした1977年頃の志村けんって、
まだ「東村山音頭」がブレイクした直後ではあったものの、
立場としては当然一番下っ端という、
後の志村けんを考えると、ちょっと信じられないような
微妙な時期だったはずなんですよね。
先述の「東村山音頭」だって、確かにブレイクしたけれど、
じゃあその次にまた何かヒットを出せるのか?というと、
かなり怪しい感じだったとは思います。
そういう時期に志村を悟空役にする、って実は今考えるよりも、
大英断だったと思うんですよね。
実際に本当は加藤が悟空をやるはずだった、みたいな話も
ちらほらと聞こえてきていますし。そしてそれを裏付けるかのような話なんですが、
OPのクレジットの順番が結構面白い。
まず最初の三蔵役のいかりやが出るのは当然だけど、
次が悟空役の志村じゃなくて沙悟浄役の仲本。
そして志村になって、次が八戒の高木、
最後が加藤で、オマケに馬のすわ親治、という並び。
普通考えると三蔵の次は悟空役を持ってくると思うんだけど、
そうじゃないんですよね。
あくまでも志村は「悟空だけど下っ端なんだぞ」って空気を感じてしまいます。この人形劇スゴイのは、毎回かなりの量の人形を新しく作って、
更に舞台セットまで作り上げてるというところ。
こういう人形劇の人形とかセットって、作るのかなり大変だと
思うんだけど、それを毎週毎週作り上げてくるのは、
本当に大変だったと思います。
撮影はおそらく先にセリフを録って、それに合わせて後から芝居をつける
という形だったと思うんですが、それでもかなりの労力だったんじゃないかな。
人形だけじゃなく、ビデオ合成とか色んな手法もつかっていて、
映像的にもかなり見応えがあります。
一度全編屋外ロケで人形劇をやってる話とかありますからね。またもうひとつの見所としては、やはりピンクレディでしょうか。
あの頃のピンクレディは、とにかくとんでもない大人気で、
それが毎週出てきて歌を唄う、というだけで、視聴率はかなり
増えたのでは無いでしょうか。
考えてみるとこの番組は、ピンクレディの歌謡ショーの合間に、
ドリフの人形劇があるとも取れるわけで、
相乗効果はかなりの物だったと思います。ストーリーは、実は原点の西遊記には結構忠実にやっていたのも驚き。
「天竺に何をもらいに行くか」は語られていなかったけど、
それ以外にはちゃんと西遊記ネタを消化しています。
同時期に堺正章版の「西遊記」とか「スタージンガー」とか
あった事を考えると、なにか西遊記ブームみたいなのがあった頃
なのかもしれませんね。これを機会に原点の「西遊記」を読みたいなあ。
-
なんか左手の親指が痛む事があって、突き指でもしたのかなあ?と思ってました。
でも良く考えると、そんな突き指したような記憶が全く無いんですよね。
寝ている時にでもぶつけたのかな…と思っていたんですがもしかしてこれ、スマブラのやりすぎなのかな…。
-
3月11日ですね。
前も書いたような気がするんですけど、
当時ネット上で割と付き合いあった方がいらっしゃって、
ブログとかもちょこちょこ書いていたんですけど、
11年前の3月11日を境に、ネットに一切出てこなくなったんですよね。
もちろんただ出てこなくなっただけ、という可能性もあるわけで、
その辺り一切不明なんですよ。それ考えるとたまにTwitterとかで
「このアカウント主の家族ですが、当人は○月○日に…」
なんて教えてくれるのは、まだいい方なのかなあと。
少なくとも気持ちの持っていき方は違ってくると思うわけで。11年前のあの頃と比べて今は、コロナやロシアなど
また色んな意味で大変なことがいっぱいあります。
しかし逆に考えると、大変じゃなかった時代って無いんですよね。これも毎年思い出すことなんですけど、やっぱりあの当時は
どうにも気が滅入っちゃって、さすがにどうにもならないなー、
と思ったりしたんですけど、そんな時あるツイートを見かけたんですね。
それはある母娘の会話で、やっぱり同じようにその娘さんも
大変でしんどい、という事を母に語ったそうなんですが、
その母親は以下の通り、語ったそうです。
「確かに今は大変だけど、私が若い頃は冷戦でいつ世界中が
灰になるかもしれないと言われていて、大変だった。
更に私のお母さん(祖母)は戦争の中をなんとか生き延びた。
いつだってみんな大変な時代を生きてきたんだよ。」かなりうろ覚えですが、こんな感じだったと思います。
確かに大変じゃなかった時代なんて無いし、
みんなその中を必死に生きてきたんですよね。
これを読んだ時、なんだか少し楽になったのを覚えています。どんな大変な事があっても、朝になれば日はまた上るし、
お腹は毎日空いてきます。
この「日常」を生きていくしか無いんですよね。 -
ハロウィンは終わったけど、ちょっと思い出したので。
というかこの話は定期的に書いてる気もする。
カートゥーン横丁本サイトを見ていただければわかるんですが、
ハロウィンエピソードの時には、ハロウィンについても
あれこれ解説を書いてるんですよね。
これは当時まだハロウィンが日本では広まっていなくて、
知っている人も少なかったので、分かるように書いていたものです。
それが大体2000年代前半くらいでしょうか。
しかし今や日本でもすっかりハロウィンが定着して、
いちいち説明をしなくても済むようになりました。
これだけハロウィンが広まったのは、ディズニーランドの
ハロウィンイベントあたりが原因じゃないかと思うんですけど、
本当に時代の流れとは早いものです。
でもその逆に、例えば「トムとジェリー」の古いエピソードには、
もちろん全部見たわけじゃないんだけど、ハロウィンエピソードが
無かったように思うんですよね。
他にも「デクスターズラボ」でもハロウィンエピソードは無いし。
でも近年のカートゥーンではハロウィンエピソードを作るのが
割と普通になってきています。
アメリカでもハロウィンの広まるのが、
比較的最近だったのかも?と睨んでいるんですが、はたして。 -
インターネットを長年やっていて思うのは、
「この人は叩いてもいい人」と認定されちゃうと、
何を言っても何をやっても許される、みたいな
空気が出来上がることがあって、
それってかなり怖いことだよなあ、と思います。
自分が被害者になるのも怖いけど、
加害者になるのは、もっと怖いことなんだよね。