"カートゥーン"カテゴリーの記事一覧
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ちょっと最近自分の中で、またしても「ホーム・ムービーズ」熱が
高まっておりまして。それにはちゃんと理由があるんだけど、
その理由はまたいずれお話しますけれども。
まあとにかくですね、ホムビのあれこれを調べたりしてるんですよ。
でジェイソン役の佐藤せつじさんですけど、
相変わらずプロフィール画像がイケメンすぎるんですよ。
あのう、この人がジェイソンとはどうしても信じられない!
それでまああれこれやってたらですね、
今度はなんと、ブランドン役の松井周さんの画像を
とうとう発見してしまったんですが、これがなんと!
ブランドンそっくりなんですよ!
いや失礼だとは思うんですが、モニターの前で大爆笑してしまいました。
ああしかし、ホーム・ムービーズ最終シーズン放送してくれないかなあ。
もちろん吹き替え版であれば、一番いいんだけど。PR -
気がついたら「デクスターズラボ」のシーズン1のDVDが出るそうで。
嬉しいのは、日本amazonでも買えちゃうって事かしら!
いやあ、いい時代になったもんだ。
しかしシーズン1なのに、このデクスターの絵柄は…。ちょっと違和感。
でもそういえば、海外アニメ系のDVDで描き下ろしパッケージとかって、あったかなあ?
他にもジョニー・ブラボーやカーレッジくんもあるみたい。
ただしあくまでも海外版。吹き替え版は未収録。
またリージョン1だし、シーズン1のみなので、そこはご注意ください!
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前のエントリに書いた、Googleのロゴがフリントストーンになっていた件ですが、
どうやら放送開始50周年の記念だったようです。
日本CNでは、何か記念とかやったのかな?
しかし50周年ってのも驚きなんですが、
ウィリアム・ハンナとジョセフ・バーベラがフリントストーンを
制作した時に、すでに50歳近かったって事にも驚いた。
30歳近くで「トムとジェリー」の制作に関わって、
それから15年近くも「トムとジェリー」を制作し続けて、
それから独立してプロダクション作って…という流れなのだから
当然と言えば当然なのだけれども、でも50歳であれだけの物を
作れるってのは、やっぱりスゴイなあと思う。 -
Googleのトップページが、
どういうわけかフリントストーンに。何故? -
コメントにていただいた内容に、ちょっと思うところがあったので、書きます。
ことの起こりはこちら。
Yahoo知恵袋にて「何故カートゥーンのキャラは四本指なのですか」という
質問に対する回答が
>深い意味はないと思います。日本のアニメに比べてアメリカのアニメが雑なんでしょう
となっていて、更にそれが「ベストアンサー」に選ばれてしまっていたって事。
この問題に対しての自分の見解は、横丁の方にも書いているんだけれども
これに関しては諸説あります。「描きやすいから」「四本だと動いた時に五本に見えるから」などです。それで結論から言いますと「解りません」。結局昔からの習慣なので、今でも自然に指を四本にしてしまう、という事なのでしょう。そういった意味では、「日本アニメのキャラの目が大きいのは何故?」「日本アニメのキャラの髪の色がカラフルなのは何故?」という質問と同じ事なのです。
という事です。まあつまり、詳しい事は解らないって事なんですけれどもね。
ただたった一つ解るのは、決して「雑だから」という事では無いってこと。
アメリカのアニメは日本のアニメとは、全然別の進化・発展をしています。
つまり日本のアニメ文化とは「異なる文化」だという事です。
それを「雑だから」と切り捨ててしまうのは、「文化の多面性」を認めない発言なのだ、
と言わざるを得ないでしょう。
…とは言うものの、逆に言えば今でもまだ多くの日本人が
アメリカのアニメ、すなわちカートゥーンに対してこのような感想を持っているのだ、
という事は受け止めないといけないでしょう。
やはりまだまだカートゥーンは日本ではマイナージャンルなのです。
その辺りの「壁」を、「トランスフォーマーアニメイテッド」が
壊してくれないかなあ、とぼんやり期待していたんですが、
しかし本編がカットされ、ストーリーも部分的に改竄されてしまっていては、
オリジナルの良さ、面白さを理解してもらう事は難しいでしょう。
声優のアドリブや内輪ギャグで喜んでいるだけでは、
あの作品のストーリー的な面白さ、本質的な面白さに気づけないでしょう。
かえすがえすも残念であります。
さて話を指に戻しますが、ここでちょっと逆の方向から問題を見てみましょう。
つまり「日本のアニメでは、何故四本指のキャラクターがいないのか?」という事です。
日本アニメでも、昔は四本指のキャラクターが確かにいました。
しかし今では、どういうわけか四本指のキャラクターは見かけません。
「ドラゴンボール」に登場するピッコロ大魔王は、原作では「四本指」なのですが、
アニメ化の際に「五本指」にされています。それは何故でしょう?
これに対する答えを得るのは、実はそう難しくありません。
検索エンジンなどで、ちょっと調べてみるだけで簡単に答えが見つかります。
あえて答えは書きませんので、是非調べてみてください。
まさに「文化の違い」がある、という事なのです。 -
見てきた。面白かったよー。
自分みたいな、ドラゴンスキーにはたまらん映画です。
ドラゴンのデザイン画集、出ないかなあ。
劇中では語られなかったけど、トゥースってメスだよね?
アスティを背中に乗せた時は、最初嫉妬していたし、
父親とヒックの間を取り持った、という意味では、
母親的存在を与えられていたのかも知れない。
ヒロインのアスティがね、いいヒロインなんですよ!
他ではあまり見ないパターンだけどねー。
とにかく空中を飛んでる感覚が、すごいイイ。
これは3Dで見るべきだったなあ。そこが失敗だ。 -
2D版で見てきた。面白かったー。
今までのシリーズを見てきた人にとっては、
最高にたまらない一作だね。
友人曰く、アンディがウッディを買った時の事を覚えていないのは、
それが「父親から受け継いだ物だから」という説を聞いて、妙に納得。
そういえば「2」の時に明らかになった、ウッディのバックボーンを見る限り、
結構古いオモチャっぽいんだよね、ウッディって。
そこに気づいて物語をもう一度見返してみると、「父親」という存在が、
意図的に消去されてる事に気づかされる。
アンディの父親はいないし、重要キャラであるボニーの父親も
(設定上いるかもしれないが)本作には出てこない。
せいぜい、ロッツォを手放した子供の父親くらいだ。
更に言うと、「父親」が出てこないんじゃなくって、
ウッディがアンディの「父親」の役割を果たしているのだろう、と気づかされる。
アンディと一緒に遊び、成長を願いそして見守る存在のウッディは、
まさにアンディの「父親」なのだ。
そう、本作はアンディの「父離れ」のエピソードなのだ。
そしてもう一人登場する父親が、ロッツォだ。
彼はサニーサイド保育園を「力」と「権力」で支配する。
これはまさに「父親」の役回りだ。
本作は、二人の「父親」の戦いの映画でもあったりするのだ。
ラスト、父親たるウッディはアンディの下を離れ、
そしてアンディもまた父親であるウッディと別れる。
アンディはいずれ結婚し子供を作り、またその子に何かを伝えていくだろう。
そしてウッディも、ボニーと遊び、成長を見守り、そしてまた…。
その「連鎖」こそが、本作の隠されたテーマなのかも知れない。 -
こちらのサイトに新作の「ダーククリスタル」のスタッフ一覧が
掲載されてるんですが、監督がゲンディ・タルタコフスキーでは無くなってます。
降板したのかどうなのか、続報待ちってところでしょうか。
そういえば「アイアンマン2」のストーリーボード参加や、
CNでの新作トゥーンの話など、確かに映画監督なんか
やってる場合じゃ無いよなあ、という感じなのですが、果たして。 -
見てきた。
うーーーーーーーーん、ちょっとこれは評価が難しいというか、困る作品だなあ。
映像は、文句無しです。素晴らしいです。
ストップモーションに3Dが実にマッチしていて、
これは金払ってでも、3D見る価値アリです。
2Dセルアニメは、3D上映とどの程度親和するのかなあ、
と余計な心配をしてしまった。
しかしストーリーが、うーん、なんというのかな、
普通すぎるというのか、ちょっと物足りないというのか。
映像が素晴らしすぎて、それに対して若干アンバランスに
なってしまってるような感じなんだよね。
決してつまらないとかダメってわけじゃないのよ。
十分なんだけれども、絶賛するほどのストーリーじゃないというか。
なんと言ったらいいんだろうなあ。難しいなあ。
榮倉奈々はいいと思った。 -
アウトサイダーズ、大ピンチ!な話。
さて、なんだかんだで楽しんだブレイブ&ボールド新作も、これにて一段落。
そして今更になって、アウトサイダーズ初登場エピを
見逃したままだった、という事に気づいた。
まあとにかく、アウトサイダーズを助けるために、
彼らの夢の中に飛び込んでいって、そのトラウマを
克服できるように、バットマンはあれこれしてやるんですが、
しかし肝心のバットマンは、自身のトラウマを未だに抱え込んで
しまってるわけだしなー。
そう考えると、ラストで笑顔でサイコパイレーツを殴るバットマンが、
色々と怖く見えてしょうがない。
冒頭はキャットウーマンとバットマンの、大人の会話でしたとさ。
グリーンアローさん、蚊帳の外。
次の新作は、いつ頃来ますやら。